100 土の中から出た表忠碑

100 土の中から出た表忠碑

 奈良橋の青梅街道を横ぎり北に向って奈良橋川を渡ると、道はゆるやかな登り坂になり、左手石段を上ると小高い丘になっています。

 昔、ここに奈良橋の日月神社があった所で、町が一望に見下ろせました。現在神社は八幡神社に合祀され、跡地に殉国慰霊塔が建っています。日清戦争以後の戦争による犠牲者二四五名が祀られて、平和への願いが切々に折り込まれている碑文は、根岸前市長さんによるものです。

 その横に、第一小学校の校庭から掘り出された表忠碑が置かれています。
 大正十二年に開校された第一小学校の、正門の右の築山に日露戦争で戦死した方の碑が建てられていました。
 石碑は高さ三・七メートル、巾一・五メートルの大きさでした。
 築山のまわりはコンクリートと太い鎖で囲まれていて、子供達の最高の遊び場でした。我れ先に集って、お手玉、あやとり、おはじきをしたり、鎖をまたいだり、くぐったり、ぶらさがったりといつもにぎやかでした。

 表忠碑に運命の日がきました。それは終戦後、マッカーサーの命により直ちに取りこわすことになったのです。そこで、こわすよりはといち早く埋めてしまいました。
 昭和五十五年、卒業記念に岩石園を造ることになり、築山を改修しましたが、その際掘り出された三十五年振りのその姿は無惨にも二つに割れていました。
(p216~217)